エステで美(うつく)しい心(こころ)を、そして美(うつく)しい人(ひと)へ
美容時有優雅的心靈後步向美人之路
作者: 相見裕子
陳清祥譯2013年12月10日
みどり先生日本語教室テキスト
小(ちい)さいころからモノ作(づく)りが好(す)きだった相見裕子(あいみゆうこ)さん。芸大(げいだい)では陶芸(とうげい)を専攻(せんこう)、一方(いっぽう)で幼少時(ようしょうじ)からピアノを習(なら)い、音楽好(おんがくず)きだったこともあり、卒業後(そつぎょうご)はポップスバンドのボーカルとして、CMやアーティストのバックコーラスをするなど音楽活動(おんがくかつどう)に打(う)ち込(こ)んだ。結婚後(けっこんご)の今(いま)は本業のエステティシャンに、カフェでのケーキ作(づく)りもパートでこなす。
相見裕子自幼就喜歡動手做工藝。在藝大讀的是陶藝系,又因為從小就學習鋼琴,喜歡音樂之故,大學畢業後就投入流行音樂的歌者及商業廣告或歌手的幕後和音的音樂活動裡。結婚後,現在全身美容是她的本行,也在咖啡廳兼差嫻熟的做蛋糕。
「よく『いろいろやっているね』と言(い)われますが、陶芸(とうげい)も音楽(おんがく)もケ(け)ーキ(き)作(づく)りもエステも“つくりあげているもの”として、私(わたし)の中(なか)ではつながっているんです」と相見(あいみ)さん。
「人們常說我『做的事情可不少呢』,陶藝、音樂、蛋糕及全身美容都算是”創作品”,在我內心他們可是相互連結著的 」 相見小姐這樣說。
エステに出会(であ)ったのは五年(ごねん)ほど前(まえ)のこと。夫婦間(ふうふあいだ)のある問題(もんだい)に思(おも)い悩(なや)み、心(こころ)も体(からだ)もぼろぼろになっていたとき、同(おな)じマンションに住(す)むエステティシュンの友だちに顔(がお)の手入(てい)れの仕方(しかた)を教(おし)えてもらうようになった。折(おり)しもそれは相見(あいみ)さんが教会(きょうかい)に「帰(かえ)った」時期(じき)でもあった。相見(あいみ)さんはエステと教会(きょうかい)に寄って癒(いや)され、立(た)ち直(なお)ったとも言(い)える。
與美容業結緣是在五年之前。當時因夫妻間某些事情而煩惱,導致身心俱乏時,住在同一公寓從事全身美容業的友人,要她傳授了有關臉部護理的方法。
此時也正值相見小姐重返教會之際。相見小姐可說是因全身美容工作及教會而得到救贖,重返他的人生。
兵庫県(ひょうごけん)の川西(かわにし)で育(そだ)った相見(あいみ)さんは小学校一年生(しょうがっこういちねんせい)のときに友(とも)だちに誘(さそ)われて近所(きんじょ)の教会(きょうかい)の日曜学校に通(かよ)うようになった。高校生(こうこうせい)で洗礼(せんれい)を受(う)け、その後(ご)の音楽活動(おんがくかつどう)では神(かみ)さまの言葉(ことば)(聖書(せいしょ)の教(おし)え)を伝(つた)えるゴスペルシンガーになることも考(かんが)えていた。ところが、相見(あいみ)さんが結婚(けっこん)した男性(だんせい)はキリスト教自体(きょうじたい)には抵抗(ていこう)はなかったものの、大(だい)の教会嫌(きょうかいぎら)いだった。「教会(きょうかい)に行(い)くと夫(おっと)を裏切(うらぎ)るような気(き)がして、教会(きょうかい)からも自分(じぶん)の信仰(しんこう)からも離(はな)れてしまったんです」。
兵庫縣川西長大的相見小姐,小學一年級時朋友邀他上鄰近教會的主日學校。高中受洗後想要當傳達上帝的話(聖經教學)的福音歌手。 他的先生對基督教本身並不反對,卻不喜歡大的教會。「覺得上教堂就像背叛丈夫似的,於是就遠離了教會與自己的信仰」。
しかし夫(おっと)との問題(もんだい)が起(お)こったときに、心(こころ)の支(ささ)えだった教会(きょうかい)に戻(もど)ろうと踏(とう)ん切(ぎ)りがついた。「神(かみ)さまのもとに帰(かえ)らなくては、私(わたし)の本当(ほんとう)の幸せはないって気付(きづ)かされたです」。再(ふたた)び教会(きょうかい)に通(かよ)い始(はじ)めた相見(あいみ)さんを夫(おっと)は黙認(もくにん)しているという。
但是當她與丈夫間有齟齬時,下定決心回去曾是他心靈支撐的教會「意識到不回到上帝得跟前,我實在沒幸福可言」,相見小姐說重回教會有得到先生的默許。
「いつか夫(おっと)も教会(きょうかい)につながって知(し)ってほしいと思(おも)っています。どんなときにも変(か)わらない神様(かみさま)の愛(あい)を」。
それを伝(つた)えたいと思(おも)っているのは夫(おっと)にだけではない。「一人(ひとり)でも多(おお)くの人(ひと)に」と願(ねが)って相見(あいみ)さんが行(おこな)っているのが「エステ伝道(でんどう)」だ。初(はじ)めてのお客様(きゃくさま)には「私(わたし)、クリスチャンなんよ」と言(い)う、自分(じぶん)の信仰体験(しんこうたいけん)を話(はな)す。そうすると彼女(かのじょ)たちも自分のことをいろいろ話(はな)し始(はじ)める。
「 想著總有一天先生也會心繫教會,讓他明白永久也不會變之上帝的慈愛」
不只是想把這些傳達給先生,也希望「多一個算一個,直到眾多的人」,相見小姐她做的是「美容傳道」 。對新來的客人他會說「我是基督徒耶」, 然後說著他的信仰體驗。於是這些女客人也會開始述說他們自己種種的事情。
「たいていの人(ひと)は何(なに)か心(こころ)に抱(かか)えているものがあるということがわかります。でも塗(ぬ)り固(かた)めたメイク(めいく)ではそうしたものを取(と)り除(のぞ)くことは出来(でき)ないんです。こころが潤(うるお)わなければ満(み)たされない。エステでちょっと顔色(かおいろ)や肌(はだ)の状態(じょうたい)がよくなったりはするものの、最終的(さいしゅうてき)には『神(かみ)さまがあなたを愛(あい)していて、いつも一緒(いっしょ)にいてくださるんだよ』と言(い)うことを伝(つた)えたいと思(おも)っています。満(み)たされた心(こころ)がその人(ひと)の本当(ほんとう)の美(うつく)しさを引(ひ)き出(だ)すんですから」
そのことは相見(あいみ)さん自身(じしん)が証明(しょうめい)しているのかもしてない。
「我們知道大多的人心裡都會隱藏著些什麼。就像不過上妝後乾了的化妝,你不能就此把他卸掉。心靈若不予滋潤的話無法聖靈洋溢。美容雖然能使臉或肌膚的狀態變好一些,但是終究我想要傳達的是『神愛世人,永遠與你同在』。 聖靈洋溢的心靈才能導引出你真正的美」
相美小姐或許是用自己在見證這句話。
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