賛美歌(さんびか)は意外(いがい)に身近(みぢか)です
聖詩,竟然在你身旁
生活的啟示 作者矢澤俊彦
陳清祥譯2013年11月27日
みとり先生日本語教室11/28テキスト
この時期(じき)になると街(まち)のあちこち聞(き)こえてくるクリスマスソング(くりすますそんぐ)「きよしこの夜(よる)」。この歌(うた)がれっきとした教会(きょうかい)の賛美歌(さんびか)だということをご存知(ぞんじ)でしょうか。
每逢此時街頭巷尾總傳頌著聖誕歌曲「聖誕夜」。
你可知這首歌可是公認為教會的聖歌呢!
「きよしこの夜(よる)」ばかりではありません。童謡(どうよう)などで皆(みな)さんにおなじみの曲(きょく)の中(なか)にも、もとは賛美歌(さんびか)だったという曲(きょく)が結構(けっこう)あります。「いつくしみ深(ふか)い」(『(」(()讃美歌(さんびか)21』())493番(ばん))は唱歌(しょうか)「星(ほし)の世界(よ)」に用(もち)いられました。このように意外(いがい)に私(わたし)たちは賛美歌(さんびか)の影響(えいきょう)を受(う)けているのです。
不光是這首「聖誕夜」,在童謠之類大家耳熟能詳的曲子當中,有很多首都曾經是所謂的聖歌。如「基督恩友『讚美歌21』493號)就被翻唱為校園歌曲「星星的世界」 ,沒想到我們如此受聖歌影響著。
http://www.worldfolksong.com/hymn/friend-jesus.html
私(わたし)が好(す)きな賛美歌(さんびか)に「こころもからだも病(や)めるときに、(神(かみ)の)御袖(おそで)にふれなばたちまち医(い)えん」というものや「ただ主(しゅ)を見(み)つめあゆめば、波(なみ)にもしずまずおそれ知(し)らぬ信仰(しんこう)は、これぞ神(かみ)のみわざ」というものがあります。歌(うた)うたびに大(おお)きな力(ちから)を得(え)られるのは、賛美(さんび)歌は歌(うた)だけれども「祈(いの)り」でもあるからです。歌(うた)っていると自然(しぜん)と心(こころ)が開(ひら)かれ、思(おも)いが日常(にちじょう)の雑事(ざつじ)から離(はな)れて神様(かみさま)に向(む)かいます。
我喜歡的聖歌有這首「當你心靈、身體病了,(上帝)揮一揮衣袖就立見痊癒」 還有「專注的跟著主走,不沉沒於波瀾不覺畏懼的信仰,這就是主的神蹟」。 每當歌唱時,就能得到大的助力是因為聖歌除了是歌曲外,它也是「禱告」。歌唱時自然而然的心胸就敞開了,心思就會遠離日常瑣碎的事務,而迎向上帝。
また、磨(みが)き抜(ぬ)かれた言葉(ことば)が使(つか)われているので朗読(ろうどく)や暗唱(あんしょう)にも向(むか)っています。たとえ歌(うた)や音楽(おんがく)にはそれほど興味(きょうみ)がないと思(おも)っている人(ひと)でも、静(しず)かに朗々(ろうろう)と唱(とな)えてみると、その奥深(おくぶか)さに触(ふ)れることができます。
還有,聖歌使用的是精雕細琢、字字珠璣的詞句,也很適合大聲朗讀或默記。
即使自覺對歌曲或音樂不那麼感興趣的人,光是用嘹亮的聲音朗讀試試,一定能發覺他奧妙之深度。
さらに、分(わ)かりやすくて簡潔(かんけつ)な言葉(ことば)で信仰(しんこう)の世界(せかい)を表現(ひょうげん)しているので、聖書(せいしょ)を読(よ)んでも難(むずか)しくわからない、教会(きょうかい)に行(い)って牧師(ぼくし)の説教(せっきょう)を聞(き)いたけれどもさっばり分(わ)からなかったという人(ひと)にもお勧(すす)めです。
更加,聖歌是用簡潔易懂的詞句來表達信仰的國度,對於覺得聖經很難了解、或到教堂聽牧師佈道也無法了解的人,值得嘗試看看。
れっきと/ 歴と 確實被人們公認的
いつくしみ / 慈しみ 慈祥、慈愛
見(み)つめあゆむ/見詰め歩む 專注凝視著的行進
磨(みが)き抜(ぬ)かれた言葉(ことば) 精雕細琢的詞句
朗々(ろうろう)と唱(とな)え 大聲朗讀
さっばり 完全
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